二輪の歴史をいろいろと。
古きを温ね新しきを知る。
浅間火山レース
この写真は、1957年(昭和32年)10月19日(と20日)に、群馬県吾妻郡嬬恋村に新しく開設された「浅間高原自動車テストコース」で開かれた「第2回浅間火山レース」のウルトラライトウエイト(125cc)クラスのスタートシーンです。
1957年と言われて、その時代がすぐに頭に思い浮かぶのは、多分終戦前に生まれた人ぐらいでしょう。
東京オリンピックの7年前、東京タワーができる前年のこと。やっと戦後の復興から未来に向けて希望が持てるようになった頃なんだと思います。
(私も生まれる前のことです。)
「汚れた英雄」映画と小説
1982年に、当時人気絶頂だった角川映画で「汚れた英雄」というロードレースが舞台となった映画がありました。当時の若者たちに多大な影響を与えたと言われています。
映画を見終わった者たちは、映画でのスタートシーンを真似て「押し掛け」でエンジンをかけて走り去ったとか。
主演は真田丸でも快演した草刈正雄さんでした。
その映画「汚れた英雄」の原作は大藪春彦の小説です。
小説の冒頭部分に主人公の北野晶夫が、自転車にリヤカーを付け、そこにレース用にしたオートバイを積んで、朝霧の中、浅間山の麓にあるレースコースを目指すシーンが書かれています。
そのレースコースが浅間高原自動車テストコースであり、出場したレースがこの第2回浅間火山レースでした。まさに1957年10月19日のこと。
記念すべき日
小説「汚れた英雄」の冒頭をもう少し読み進めると、こんな記述が出てきます。
現在浅間コースは淋しいテスト・コースに変りはて、国内大レースは鈴鹿や富士に移され、浅間ではたまにクラブ対抗の小レースが行なわれるだけだが、その日、昭和三十二年十月十九日は 冷遇され続けていた日本のモータースポーツがはじめて小さいながら本格的に花咲いた記念すべき日であった。
大藪春彦「汚れた英雄 第1巻 野望篇」角川文庫
そこで二輪文化を伝える会では、世界を席巻することとなる日本のオートバイメーカーが、当時その技術を磨く場として切磋琢磨することになったのが、10月19日に新設なった浅間高原自動車テストコースで開かれた浅間火山レースであること、またそれは、後に80年代〜90年代のレースを中心としたオートバイブームの火付け役でもあった小説「汚れた英雄」の舞台でもあったこと、なおかつ著者の大藪春彦氏がこの日を「記念すべき日」と表していることから、10月19日を「二輪文化の日」としようと決めたのでした。
協力:二輪文化を伝える会